更新日:2023年11月18日
教育民生常任委員会 視察報告
教育民生常任委員会では、去る10月19日から20日の2日間、福島県小野町及び学び舎 ゆめの森(福島県大熊町)を訪問し、次のとおり視察を実施しました。
○ 視 察 日
令和5年10月19日(木)、20日(金)
○ 視察地及び視察目的
1 福島県小野町(報告書P1~)
「子育て支援等の諸施策」について
・子育て支援・妊産婦支援
・放課後子ども教室
・子ども育成支援金(栄養費)
・多子世帯学校給食費負担軽減助成事業制度
2 学び舎 ゆめの森(福島県大熊町)(報告書P10~)
学び舎の見学及び概要や特色等について
○ 視 察 者
石岡実成委員長、星加代子副委員長、金崎ひさ委員、笠原俊一委員、待寺真司委員、窪田美樹委員、伊東圭介議長(オブザーバー)(随行 山本局長補佐)
◇福島県小野町視察概要(10月19日)
1 町の概要
福島県の中通りと浜通りを隔てる阿武隈高地の中部に位置する、標高700mを超える山々に囲まれた丘陵地帯で、田村市、いわき市、平田村と郡山市に接している。東西12.45㎞、南北15.95㎞、総面積125.18㎢で、町の中央には右支夏井川が流れ、下流で太平洋に注ぐ夏井川と合流し、その流域の平坦地に市街地が、夏井川水系の支流の流域に耕地が形成されている。主産業は農畜産業で、産業別の就業者は第1次産業(農林業)と第2次産業(製造業が約7割)に従事する割合が高いのが特徴である。
人口は、令和2年の国勢調査で9,471人。平成27年から9.6%の減少率となっており、県内では3番目に人口減少が大きい自治体になっている。
小野町は、昭和の大合併により、昭和30年に小野新町・飯豊村・夏井村の1町2村が合併して小野町が誕生している。2年後の令和7年に町制施行70年を迎える。
2 視察概要
小野町では、妊娠、出産から子育て期にわたる「切れ目のない子育て支援」に取り組んでおり、妊産婦支援・子育て支援、放課後子ども教室、子ども育成支援金(栄養費)、多子世帯学校給食費負担軽減助成事業制度等々の一連の子育て支援諸施策について、担当課である子育て支援課及び教育課より説明いただき、質疑応答を行った。
3 委員所感
<石岡実成委員長>
小野町は、福島県中通り中部に位置し、四方を標高700mを超える山々に囲まれ、小野小町の生誕伝説がある町としても知られる、人口約8,700人の町です。令和7年度には町制施行70周年を迎え、主な産業は、農畜産業ですが、観光名所の一つでもある「リカちゃんキャッスル」はリカちゃん25周年記念の日にあたる1993年5月3日に、日本初の人形の一貫生産オープンファクトリーとして福島県小野町に開設され、名誉館長には、町長が任命されていたりもします。
今回の視察では、小野町の【妊娠、出産から子育て期に渡る切れ目のない子育て支援策】【子ども育成支援金】【放課後子ども教室】【多子世帯学校給食費負担軽減助成事業制度】について学んできました。
少子化や過疎化が進む中、どの自治体も人口流出を防ぐため、様々な施策を構えている中でも、小野町に関しては、現町長の選挙公約として、強力な子育て支援策が掲げられたようで、そこに、担当課の熱意も加わり、町単独のアイデアが溢れた新たな子育て支援策が行われていました。
それぞれの支援策については、「出産・子育て応援給付金」として、妊娠届出時の申請・面談により妊婦1人当たり50,000円支給、出産後の申請・面談時により出生時1人当たり50,000円支給。「笑顔とがんばり子育て応援金」として、第1子50,000円、第2子100,000円、第3子以降150,000円支給。「育児世帯支援給付金」として満1~2歳それぞれ1人当たり年額20,000円。「子ども育成支援金(栄養費)」として満4~6歳それぞれ年額21,600円を支給。「小学校入学祝金」として、新1年生に30,000円を支給。「中学校入学祝金」として、新1年生に30,000円を支給。
子ども1人当たりの総支給額が、第1子314,800円、第2子364,000円、第3子以降414,800円もの支援がされる仕組みです。
支援される金額の多寡だけをもって制度の良し悪しを比べる事は乱暴ですし、人口規模や地域の特性、環境にもよって異なりますが、しかしながら、子育てにどうしても必要不可欠な各家庭の経済支援策は、今後、葉山町の人口維持を保つためには、必要な協議事項、課題だとも思っています。
次に、放課後子ども教室の運営については、今後、当町でもニーズが高まっている事業であり、システムの構築をスピーディーに確立させていく必要があるのですが、現状、小学校が4校ある当町での規模で言えば、小野町で実施している内容をすべて移行するだけでは解決するものではありませんが、しかしながら、学校や児童の生活スタイルに特化したシミュレーションがしっかりされている中で、地域サポーターがそれに加わり、官民が連携した協働のまちづくりの一環として運営されているという部分は、参考にすべきと思いました。
また、小野町では、「児童館施設(放課後児童クラブ等)」の整備を令和5年3月より進めていて、この児童施設は18歳未満のすべての子どもを対象にした、多角的な子育て支援事業(「放課後児童健全育成事業」「子どもの居場所づくり事業」「一時預かり事業」「地域子育て支援拠点事業」「発達支援事業」)をカバーする画期的な施設になるようです。
公共施設再編での、教育環境改善時には、是非ともこういった施設の検討もすべきと思いました。
最後に、質疑の中で伺った、学校を統廃合した結果、スクールバスを11台走らせているという話を伺い、年間1億円程度の経費を要しているという話がありました。但し、600万円×11台=6,600万円は、国より補助金制度を使っているという事で、今後、当町にも必要になってくる話ではないかと思いました。
<星加代子副委員長>
小野町の「子育て支援等の諸施策について」お話を伺った。小野町では令和4年度に子育て応援事業の支援内容について見直しを行い、出産から子育て期にわたる切れ目のない支援と安心して子育てができる環境を整えるため、子育ての段階に応じた節目ごとに応援金などを支給している。
まず、出生時には「笑顔とがんばり子育て応援金」が支給される。第1子50,000円、第2子100,000円、第3子150,000円と、町独自で出産祝い金を支給。
出生後も満1歳または満2歳となる乳幼児1人あたり20,000円の「育児世帯支援給付金」が申請不要で支給される。また、「子ども育成支援金(栄養費)」は満4歳、満5歳または満6歳となる幼児1人あたり月額1,800円(年額21,600円)支給。これはあえて、保育園等の給食費としてではなく、保育園・幼稚園に通っていないお子さんにも支給するため「栄養費」と名付けているという心遣いを感じた。
就学時には小中学校への入学時における保護者の経済的負担を軽減する「小中学校入学祝金」を、児童・生徒1人あたり30,000円支給している。ベネッセの調査では公立小学校の入学準備にかかる費用は80,000円前後とのこと。葉山町では所得制限を設けた就学援助を実施しているが、今後幅を広げていくことも子育て支援策として検討の余地があるだろう。
そのほか、小野町では転入にかかる補助として、トラック一台分の杉を建築資材としてプレゼントする「町有林おすそわけ事業」もしくは、100,000円分の町内商品券を交付する「定住祝金交付事業」などがある。少子化対策、若者の定住を推進するための施策はとても魅力的に感じた。
<金崎ひさ委員>
福島県小野町と大熊町そして宿泊は富岡町と、奇しくも原発被災地の現状を垣間見、身に染みる視察となりました。
小野町は、人口が激変し、それを少しでも取り戻すために、妊娠、出産から子育て期にわたる切れ目のない支援を行う施策が展開されています。妊婦に関しては、妊娠4ヶ月から出産の翌月までの疾病に対し、保険診療費の自己負担分の助成があります。また、町内に産婦人科がないので、妊産婦健康診査にかかる交通費の助成もあります。産後ケアに関しては今年度から事業対象者を里帰り中の産婦にも拡充したそうです。赤ちゃん誕生から中学生までの総支給額は第1子で314,800円、第2子で364,800円、第3子以降で414,800円となっています。
そして、放課後子ども教室については、今まで4校あった小学校を1校に統合し、令和2年度から開校した小野小学校に開設をしています。統合によりスクールバスを運行し始め、その待機場所でもあります。よって、全校児童を対象とし、活動時間は下校時から午後4時30分までで、スクールバス発車は午後4時20分となっています。もちろん、スクールバス利用者以外の児童も同時間帯で利用ができます。また、スクールバス経費は600万円/1台の地方交付税で賄っているそうです。ちなみに11台で11ルートの運行がなされています。小中一貫校を目指している葉山町として、役立つ時がくる情報と思います。
<笠原俊一委員>
「子育て応援事業として、妊娠、出産子育て期にわたる切れ目のない支援と安心して子育てができる環境を整えるため、子育て段階に応じた節目ごとに応援金を支給しています」と書き出しのある給付金支給一覧の制度一覧書や条例や要綱が配布され説明を受けた。平成12年から下降線をたどる人口減少、配布された資料による令和4年6月末の人口9,311人3,726世帯、出産29人死亡200人。職員からの説明では、令和5年9月1日現在ではさらに減少し人口8,783人、3,364世帯とのこと。農業が主体の町であり、比較的外国人居住者が多いことや1年間の出生者は30人程度。町内の4小学校を令和2年から1校に統合しスク-ルバスを運行していること。小中学生の多子世帯学校給食費負担軽減助成制度(2人以上が義務教育過程の場合、第2子以降は全額助成)があることなど、妊娠から出産そして子育て環境を充実させることで、移住・定住の促進事業を含む多くの政策から人口減少抑止策に取り組む姿勢は、近い将来葉山町でも直面する課題であり危機意識の違いを感じ、すぐにでも真剣に取り組み体制を作る必要性を感じた。
<待寺真司委員>
小野町では、子どもを産み育てるための様々な施策に関して、子育て支援課並びに教育課の職員より、当委員会の行政視察用に作成していただいた、大変素晴らしい研修資料に基づき詳細な説明を受けました。多岐にわたる質問事項に対して実に的確で、わかり易く纏められた資料を作成していただいたことに、冒頭心より感謝申し上げます。
小野町は、安心して子育てができるように、切れ目のない相談支援事業や、出産・子育て応援給付金支給事業など経済的支援にも重層的に取り組んでいます。特に経済的支援では妊娠届時に50,000円出産後に50,000円(全国共通事業)に加えて、平成25年4月から町独自の支援策「小野町笑顔とがんばり子育て応援金」として、第1子に50,000円、第2子は100,000円、第3子以降には150,000円が出産後に支給されます。またキッズチェア「おめでたいっすー」や絵本セットも贈られます。さらに、満1・2歳児には育児世帯支援給付金20,000円が、満4・5・6歳児には子ども育成支援金として月額1,800円、年額では21,600円が1人当たり支給されます。この支援金が月額支給なのは子どもの食事代の補助の意味合いが濃く「栄養費」との副題がついております。さらに加えて小学校・中学校への入学祝金として1人当たり30,000円ずつ支給されます。総額で第1子が314,800円、第3子以降では414,800円が子育て世帯の負担軽減につながっております。
伴走型相談支援事業では、町内に産科医院などがないため妊産婦健康診査交通費助成事業や、産後ケア事業も無料で利用できるなど手厚い支援事業が展開されています。また、多子世帯への学校給食費軽減助成事業では、第2子以降の給食費は全額補助としており、放課後児童クラブ・放課後子ども教室にも力を注いでいます。
新しく生まれてくる命を大切に育んでいくために、自治体の重層的な支援は必須であり、小野町の取り組みは称賛に値するもので、当町もその理念などは見習うべきと強く思いました。
このような重層的な取り組みをしている小野町でも、2001年には105人の新生児が誕生していましたが、2022年には29人まで激減したのです。当町でも減少傾向に歯止めがかからない今こそ、一層の経済的な支援策を拡充するべきと強く進言いたします。
少子化が進行する中で、町内にありました福島県立小野高校が統合されて、他自治体に移行するとの情報を得ていましたので、質問の最後で伺ったところ、町では現在高校生の移動支援や高校跡地の利活用に関して、検討に着手したところとのことです。地域から高校が消滅することの影響は計り知れないほど大きいもので、小野町の今後の更なる育ちや学びの環境整備や経済的支援策の拡充におおいに期待を寄せるところであり、注視していくとともに応援したい気持ちがあふれ出す視察となりました。
<窪田美樹委員>
福島県小野町を視察先に選んだのは、少子化対策や人口減への対策として、さまざまな子育て支援策を行う自治体がある中、小野町では近隣自治体が行っていない支援事業が多く、策の決定や財源などを聞きたいと思いました。また、「放課後子ども教室」を実施しており、未実施の葉山町の参考にと思いました。
子育て支援策の財源として「小野町笑顔とがんばり子育て支援基金」がありますが、そもそものその基金の財源は、平成28年からの5年間、国から過疎対策事業債として給付される内の2000万円を積み立て総額1億円を基金としたそうです。その基金を基に、基金がなくなるまで子育て支援策を続けるとのことです。もちろん基金がなくなったからといってすべてを打ち切るというものではなく、あくまでも目安とのことです。
1億円があるからと、給食費を全額無償ではなく、多子世帯を補助対象としていること。国の幼保無償化により保育費は無償になったものの、給食費の一部は負担しなければならず、支援策として給食費の補助ではなく子ども育成支援金(栄養費)とし園に通わない家庭、子ども全員が対象となったこと。妊産婦さんが産科に通うのも町内に産科がないためタクシー利用補助をしていること。小中学校の入学時に以前は体操着を送っていたものを、祝い金として所得に関係なく30,000円を支給していること。1・2歳の乳幼児には、育児世帯支援給付として1人20,000円を申請不要で児童手当支給口座に振り込むとのこと。児童手当を受けていない家庭も対象としていました。産後ケア事業は里帰り出産の方は一部負担ですが、無償で行っているとのこと。しかし、二世帯同居などの家族の協力を得やすい住環境からか無償でも利用される方は、年間1人2人ととても少ないそうです。支援策の内容は町長発案とのことでした。限りある財源の中、さまざまな観点から子育て支援策を考えていると思いました。
「放課後子ども教室」
体験・活動項目の種類は、地元の方の指導協力をしてもらい、内容も決めているとのことでした。子どもたちは、スクールバスを利用しており、その時間に合わせ活動していました。学年が上がるにつれ、授業時間が長くなるため5、6年生は参加できないそうです。
葉山町でも放課後子ども教室を考えていますが、地域の方の協力や場所など、課題が多いと感じました。
(写真)上段:「笑顔とがんばりの町」小野町町民憲章
中段:視察の様子
下段:小野町長(中央)と役場庁舎前にて
◇学び舎 ゆめの森(福島県大熊町)視察概要(10月20日)
1 施設の概要
2011年3月の東日本大震災による原子力発電事故により、全町非難を余儀なくされた大熊町は、幼児・児童・生徒数が被災前の約1%まで減少したが、避難先の会津若松市において教育活動を再開継続してきた。
避難先では、幼稚園、小学校、中学校が各1施設で教育活動を行ってきたが、平成30年6月の「大熊町教育大綱」、平成31年3月の大熊町第二次復興計画改訂版において、令和4年春に大川原での幼小中一貫の教育施設の建設が示され、現在の新教育施設建設の整備が検討されてきた。
新型コロナウィルスの影響で建設工事が遅れ、施設竣工は令和5年6月になったが、義務教育学校大熊町学び舎 ゆめの森としては、令和4年4月に開校し、認定こども園と共に令和5年4月に町内での学びを再開している。
2 視察概要
幼小中一貫の教育施設として、0歳~15歳が共に生活し学ぶ拠点、また復興拠点となる大川原地区に地域住民も集う「みんなの学び」を体現する校舎(施設)を見学し、学びの特色(「0歳からのシームレスな学び」「学びのマネジメント」「探求を通じた『わたし』と『大熊』の物語の創造」)について、サブアリーナで資料の説明をいただき、質疑応答を行った。
3 委員所感
<石岡実成委員長>
大熊町は、福島県浜通りに位置し、福島第一原子力発電所の1号機から4号機の所在地であり、2011年東日本大震災時に起こった福島第一原子力発電所事故の発生地でもあります。
2022年6月30日に「特定復興再生拠点区域」の全域で避難指示が解除されましたが、まだまだ復興途上の町であり、視察途中に通る沿道は、想像を絶するほど、生活感の欠片もない街並みでした。
福島原発事故前、町内には高等学校1校、中学校1校、小学校2校、幼稚園1園が設置されていたようですが、福島原発事故後、主要な避難場所である会津若松市にて中学校、小学校、幼稚園が再開され、小学校と幼稚園は、地元の既存校・既存園を統合した正式名称「大熊町立小学校」や「大熊町立幼稚園」の分校や分園だったとのこと。 2022年4月、町立小中学校3校が義務教育学校1校に統合し、2023年4月に大熊町に帰還。更に8月に新校舎に移転し、それまでの幼稚園に代わる認定こども園が開園しました。
今回は、その義務教育学校・認定こども園として8月にオープンしたばかりの「大熊町立 学び舎 ゆめの森」を視察させて頂いた訳ですが…。
先ずは、施設の外観の造りから圧倒されます。木の美しさを全面に採用した外観とその香りだけでも心が癒されるような感覚になり、校舎のエントランスから覗く正面広場の映像は、今でも強烈なインパクトとして目に焼き付いています。
建物全面が木造建築で、まるでお洒落な図書館に来たような感覚になります。勿論、所々に教室となる仕切られた空間はあるのですが、長い廊下の一方に箱型の教室が並ぶ見慣れたものとは違い、その一つひとつの空間、廊下、置かれている椅子や机までは個性丸出しのものばかりです。
俗に言う職員室も閉ざされた空間ではなく、各教室には、それぞれ児童生徒が考えた部屋の名前が付けらています。
廊下も本棚が並び、ベンチが置かれ…。時にそこでも授業が行われていたりするそうです。音楽室と食堂が一体になったスペースでは、こども園に通う幼児も一緒になって昼食をすることもあるとの事でした。
施設の面白さや素晴らしさはまだまだ沢山あるのですが…本当に一言で言えば、子ども図書館型学習施設プラスこども園といった感じです。
「0歳からのシームレスな学び」としての狙いは、幼児期に「あそび(内発的関心・問からの没頭)」の力を伸ばし、学校の「学び」も教材を受動的に学ぶのではない内発的な「探求」へと転換。社会情勢スキルの基盤を形作る幼児期から青年期まで一貫した理念とカリキュラム。0歳からのかけがえのない個が集い、共感・協働し、多様性を力に変える。理念、環境(時空間)、園児・児童の交流(授業・行事)、教員連携の4側面からのシームレスに連動した「ごちゃまぜラーニング」を展開する事なんだそうです。
今後、小中一貫を目指す葉山町においても、真似るべき部分は沢山あるのでは?と思いながら、一方で、その難しさを頭の中ではイメージ出来ず、ただただ、ため息交じりで見学させて頂いた時間でした。
この学び舎ゆめの森には、現在0歳児~9年生まで32人が通っています。こうしたコンパクトな条件だからできるもの?という想いが抜けきれず、仮に、この施設で実現されているスタイルは、最大何人まで可能と考えるか?という質問には、150人という回答がありました。
これからの葉山町にとって何が必要で、何を優先すべきか?やり方は多少違えど、根本は同じであり、この理想郷に近づける努力は必要なんだと思います。
この施設の総工費は53億円。32人を受け入れる施設に、それだけの投資をするのは如何なものか?と、議会でも意見が割れたというエピソードも聞きました。しかし、この事業を協力に押しすすめた校長先生からとても貴重な答えを頂きました。それは、我々大人が子ども達にしてやれることで最も大事にすべきことは「環境を整えてあげる(整備する)こと」だと。色々と先んじて空想の世界で議論を重ねて、マイナス思考で計画を足踏みするよりも、環境を先に整えて、そこに見合うシステムを構築する事が、これからの教育現場に必要なことだという言葉が胸に響き、是非、持ち帰って今後の指針にしたいと思った時間でもありました。
今回の両町の視察を通じて、今後、最も力をいれるべきは「子ども」をテーマにした環境整備、施策、事業なのだと改めて感じた所です。
<星加代子副委員長>
木の香りがする真四角でないデザインされた校舎。どこにいても興味が持てる本が並び、知的好奇心を育むデザイン。チャイムがない授業。児童生徒が自分で組み立てる時間割。遊び心があふれる運動器具や校庭。自由に自分の好きな居場所、を見つけることができる。その名の通り、夢のような小中一貫の義務教育学校「学び舎 ゆめの森」を視察した。
私自身、教育学を学び特に15年~20年前に話題となったフィンランドの教育(フィンランドメソッド)はとても興味を持っていた。しかし、当時、日本の公立校でこのような教育はできないとあきらめ、教育者への道は進まなかったという経緯がある。そのため、空間、教育プログラムともに、まさに公立の学校でフィンランドメソッドを体現したゆめの森は、理想的な学び舎だった。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で全町避難を余儀なくされた大熊町。多くの町民が100km以上離れた会津若松市で避難生活を送った。2019年4月避難指示が解除されたが、長年、人が住めなかった町の復興は簡単ではない。以前はにぎわっていた桜並木も枝が伸び放題で手入れされておらず、空き地、空き家が目立っていた。
震災前、町の人口は約1万1,000人、生徒児童も約1,100人だったが、現在の住民登録人口は約600人、学び舎ゆめの森に通う園児児童は合計31人とまだまだ復興に向けて再出発したばかりだ。
しかし、ここに通う子どもたちは震災前の記憶はほとんどなく、今ある大熊町から新しい一歩をスタートしている。未来を創る子どもたちが、この学び舎でたくさんの思い出を作り、創造性を育み、町を愛し、この地域を生まれ変わらせる存在になるであろうことを祈るような気持ちで視察を終えた。このゆめの森は、今後の義務教育学校の在り方を変革するモデルともなっていくだろう。葉山町においてすべては導入できなくてもここで体感したものを未来の葉山の教育施設に取り入れ「葉山メソッド」を作っていきたい。
<金崎ひさ委員>
大熊町では「学び舎 ゆめの森」を視察しました。認定子ども園と義務教育学校が一体となり、園児と児童生徒との交流、そして学年に囚われない交流授業、同施設の中心には図書館が設置されており、町民との交流など、まさに理想的な「教育のごちゃまぜ」です。東日本大震災による原子力発電事故により全町避難を余儀なくされ、避難先の会津若松市で教育活動を再開していました。幼児・児童・生徒が被災前の1パーセントに減少し、避難指示解除に際し、8人の子ども達のために、この「学び舎ゆめの森」計画を立てたそうです。過疎化給付金を活用し総工費53億円です。現在は園児・児童生徒数32人で、この教育方針に賛同し、他所から移住してくる家族もあるとのことです。町営住宅と隣接しており、ガラス張りや張り出し舞台など、地域との交流を推進する造りとなっています。葉山町では小中一貫教育の実現の際、このような精神を取り込むべきと心から思いました。また、原発被害体験から、町営住宅を含め新しい建物には全て太陽光発電を取り入れ、エネルギーの自給自足を目指しています。
いずれの町も、困難に負けず、より良い町にしたいという先進的事例は町長のトップダウンで行われたとのことです。今までの先進地視察では、一人のやる気のある職員が頑張って、それを黙ってやらせるトップがいる、という状況を見てきました。今回は町を救いたいという町長の郷土愛が先進事例になったと感じています。
今回の視察では富岡町に宿泊しました。有名な桜並木の沿線界隈にはまだ廃墟があり、地元のテレビでは「帰還困難地区の内、除染が進められている県道や墓地などの避難指示解除を目指す」等の報道がありました。現場に行って、現場で感じる、リアルな想いを痛切に感じる2日間でした。この体験を今後の活動に活かして参ります。
<笠原俊一委員>
福島原発の放射能汚染地域からの復旧地域、令和4年夏に町内東側地域を除く住民の復帰解除地域に建設された施設。大川原地区復興拠点に位置し、大熊町役場・商業施設・交流施設・被災された方々が居住する公営住宅・賃貸住宅に隣接し、緑の山々に囲まれ東側、太平洋側に向かい緩やかな傾斜の丘陵地に敷地面積33,170.44㎡、延べ床面積7,917.60㎡吹き抜け部分を三層とし、校舎全体は円形型というか星形というのか、どの部屋からも外が見える2層構造。教室個々の仕切りはなく、書庫というのか森の木々の枝に本があり、椅子も机も好みで組める。各教室の区切りがあるのかないのか不思議な空間。0歳児から小中1学年から9学年までの現在32人の生徒が通学している。将来的には各学年15人程度10クラス150人までが通学利用範囲であるとのことで、地域住民の交流施設にも利用され図書館施設や音楽活動施設、体育施設も併設されている不思議な学校。
多くの子供たちや地域住民が共に学びあうことがコンセプトとしているとのことから、その状況を近い将来見てみたいと感じました。
<待寺真司委員>
「大熊町立学び舎 ゆめの森」は、0歳からのシームレスな学び舎で、認定こども園と義務教育学校(小中一貫教育校)が一つの建物に共存している、まさに幼保小中の一貫した学び舎であり、全てが新鮮で驚きと感動を覚え、今後の公教育の在り方を力強く先導していくハード(校舎など施設)とソフト(教育理念など)が見事に融合された、まさに子どもたちだけでなく、おとなたち(教職員や地域住民)にとっても「ゆめの森」となると確信した視察でした。すでに各方面からの視察が相次いでおり500名は超えているとのことでした。
本年8月の2学期より新校舎に移転したばかりですが、東日本大震災で全町避難となった直後から、会津若松市において保育園・小中学校の教育活動が12年間展開され、2022年に義務教育学校「学び舎 ゆめの森」として開校し、本年より新校舎にて認定こども園と一緒の敷地・建物内で学び始めたところです。
「百聞は一見に如かず」なので施設の細部に関しては現地に行くのが一番ですが、私が見聞した施設の感想を述べます。まずはエントランスを入ると眼前に広がる「図書ひろば」に驚愕しました。図書ひろばから各施設(ゾーン)が放射状に配置されていて、円を描くように2階へと昇っていける作りに感動いたしました。また震災後にサポートしてくれた会津若松市への感謝を忘れないとの想いから「さざえ堂」を模した階段も配置されています。ネット状の遊具で2階に登れたりと、2階へのアクセスポイントが大変ユニークで驚きました。子どもがワクワクする仕掛けが随所にあり、おとなたちも楽しめる空間が拡がっていて、今後はより一層地域の住民との交流が深まる事業を展開していくとのことでした。また、地域の防災拠点としての整備もされていて、防災備蓄倉庫も敷地内に配置され、体育館の床面も長期避難対応になっているなど、その他災害時の避難所機能が充実していました。校庭は追加の補正予算を議会も承認して、全面人工芝の素晴らしいものでした。
特筆すべき点ですが、施設内のそれぞれのゾーンについている名称は、児童・生徒たちで決めたそうで、職員室は「にこにこサポータールーム」、図書室は「わくわく本の広場」など、子どもが主体の学び舎づくりの基本がしっかりとできています。そうした教育目標も素晴らしく「自主自律・共感協働・多様性」を柱に、「わたし」を大事にし「あなた」を大事にし、みんなで未来を紡ぎ出すとして「個人の自由を追求し、在りたいゆめと、それをなし得る力を育み、自らと他者の存在を尊重し、対話を通じて違いを力に変え、互いの自由を相互承認して、ともにWell-beingを追求する市民社会を形成する」という崇高な理念が綴られております。
このような理念と環境(時空間)、園児と児童の交流(授業・行事)、教員連携の4つの側面からシームレスに連動した‘ごちゃまぜラーニング’を展開していくことを通して、子どもたち一人一人が自分の学びをデザインして、好きなことに夢中になれる授業を毎週金曜日に設けるなど、まさに探求型教育をより深化させた実践教育にも感動しました。
視察時現在では、園児12名・生徒20名の合計32名が在校しておりますが、150名までは現校舎で対応できるとのことです。また他地域からの越境入学や移住者が増えてきても、三角形フレームの組み合わせでできている構造なので、例えば中庭部分を教室に変更するなど柔軟に対応できると伺いました。
園長・校長の南郷市兵氏は、文部科学省から着任しており、大熊町での幼保小中一体型の0歳から15歳までの一貫した公教育の先進モデル校として、国も大いに注目し期待を寄せているのではと推察しました。葉山町の公教育が目指している小中一貫教育施設一体型義務教育学校開設に向けて、大いに参考とすべき点がソフト・ハード両面であふれ出していますので、是非とも町教育委員会でも現地に赴いて、大いに刺激を受けていただき、葉山の子どもたちのために素晴らしい理念と教育施設の環境整備に全力投球して欲しいと強く願います。
対応していただきました議員諸氏や教育長、校長、副校長、教育総務課職員の説明に感動したあまり、委員長から何か質問はと振っていただいたときに、作詞が谷川俊太郎氏、作曲が谷川賢作氏親子による校歌に関して本題からはずれた質問をしてしまいました。それでも校歌完成に至るまでの経緯や裏話なども伺うことができて、本当に忘れることができない視察となりました。「会津のさざえ堂階段」のすぐそばで、エントランスから至近の書架には、谷川俊太郎氏の詩集や作品(絵本)が多数配架されていることの理由が最後に判明いたしました。ちなみに図書ひろばの蔵書数は現在約2万冊で、今後は5万冊まで増やして学校図書館では最大規模になる予定だそうです。どうか一日も早く多くの町民が帰還されて、校舎に園児・児童・生徒の笑い声がもっともっとあふれ出すことを強く望んでおります。
<窪田美樹委員>
大熊町を視察先に選んだのは、葉山町で考えている小中一貫教育に加え、幼稚園・保育園の年代も一緒の教育環境としているところ、また、葉山町の課題である学校施設の老朽化、施設の統廃合も視野にいれた小中一貫校の建設も考えていかなければならないことから、教育生活環境として、新たな校舎を建設していたところです。
福島県大熊町は、東日本大震災による原発事故で全町民が町外へ避難しなければならず、町のほとんどが帰宅困難区域となったところです。復興再生計画のもと除染等が進み、一部地域では避難指示が解除されています。震災後に減少した子どもたちを、帰還後を踏まえた教育復興へ議論を重ねていました。その中で、幼小中一貫校の建設となりました。
学校は外見からは木造校舎と思いますが、鉄骨で骨組みされていて、木の使い方で温かみを感じます。また鉄骨も吹き抜け天井部分には三角形を基調とするデザインで、ただ四角い校舎ではなく、見るだけでワクワクする校舎でした。教室も壁で区切られているわけではなく、ゾーンで分けられており、校舎案内図はパズルのようでした。パズルのように分けられていることで、それぞれの空間が確保されています。空間を仕切るのは造作家具やパネルで、移動もできます。校舎を入り、まずは「読書の町おおくま」の伝統を引き継ぐものとして、不揃いな段々の階段も本棚や椅子になるとても広い空間、図書スペースがあります。このスペースで、学校全体の始業式等も行うそうです。ただ本の背表紙が並んでいるのではなく、表紙から本を選ぶこともできますし、選んだ本をさまざまあるスペース、好きな場所で読めます。また、自分が選んだ本をほかの人にお勧めできるスペースもありました。以前視察に行った大阪にある「こども本の森 中之島」の要素がたくさん盛り込まれていました。校舎全体にある机や椅子は、向きや使い方次第で高さや用途を変えることができました。ここでも子どもの自由、子どもが決めていいことが沢山です。
音楽室の入り口には、楽器が飾られていました。私の記憶では、鉄琴、木琴などの楽器は音楽室準備室に大切にしまわれていて、普段は目にもしませんでした。いたずらに扱うことは駄目ですが、本物を手に取れること、音を奏でられることを羨ましく思いました。理科室も同様です。昆虫標本や天体標本は普段の空間に置いて、飾ってありました。
校舎全体に木をふんだんに使い、オープンであり大きな窓やガラスドア、吹き抜け部分が多く、椅子や案内板の色遣いは、さらに全体を明るくしていました。ピカピカの校舎の中で、軒下部分がホームセンターで売っているような、節も多い何でもない杉板でした。しかし、その杉板は地元の産物であり、ところどころに使用されていることで、校舎で過ごす子どもたちを地元の方たちが見守っている気がしました。
校庭や校舎にはさまざまな遊び心への工夫がされています。雨どいの一部が透明で、流れてくる雨をただただ眺めていられること。網を使って二階に上がる部分、校舎全体がオープンで、図書スペースなど一部分は地元の方も利用できる共有スペースもあり、中庭やガラスドアも多い中、セキュリティ面が気になりましたが、校舎への入り口は一カ所であり、外来者は必ず色別の名札を付けることで対策がとれているとのことでした。
この校舎から、子どもたちは自分で学び方をデザインできること、多様性がどこにでもあること、今社会で必要とされている探求心を培うものと思いました。その中で、先生全員がこのやり方についていけるのかが気になりましたが、最初は戸惑う先生も共に学んでいったことを聞きました。
校舎総工費56億円以上の内、震災復興の補助金が9割と、葉山町で同様の校舎を建設するには厳しいものがあります。大熊町は小中各学年1クラスや広大な用地など、この校舎建設に良い条件でしたが、葉山町ならではの学びの環境整備は必要です。これからの葉山町の教育環境の中に、手に取れる楽器、自由な発想で使える机や椅子、雨どい、図書の空間。一つでも二つでも子どもたちが、大人もワクワクできるものを求めます。
校舎の中心 図書ひろば
どきどきアトリエ内の創作工房
どきどきアトリエ内の音楽室
(ランチルームに接し舞台のように)
地域交流にも使える張出しの舞台
災害公営住宅に接し、地域の住民も集える
自由に組み合わせて形を変えることができる椅子
様々な形の木の椅子
きらきらお話の庭 絵本コーナーを中心に低年齢の子どもたちのために
本に没頭できる様々な狭い空間
ぽかぽか広場(中庭)
雨の日は、木のでっぱり部分から雨が流れ落ちる
2階へ登ることのできる遊具
指を強くし、運動機能を高める効果も
のびのび学び室 義務教育前期課程
ふむふむ研究所 義務教育後期課程
さざえ堂を模した階段
サポータールーム=職員室
学び舎 ゆめの森での集合写真
以上、ご報告いたします。
令和5年12月 日
教育民生常任委員会