更新日:2017年04月02日
平成29年 2月15日
行政視察報告書
(会派の場合)
会派の名称
代表者氏名 ㊞
(会派以外の場合)
議員氏名 待寺 真司 ㊞
参加議員 横山 すみ子 議員 笠原 俊一 議員
伊東 圭介 議員 議員
議員 議員
議員 議員
視 察 先 (1) A熊本県益城町 B熊本県西原村 C熊本県南阿蘇村
(2) 佐賀県伊万里市
(3) 福岡県福津市
視察目的
(項目) (1) A避難所運営 B迅速な復旧活動 C崩落現場現地踏査
(2) 市民による図書館運営と優れた図書館設備
(3) 古い町並みの保存と地域活性化事業
【調査内容・概要】
(1)A熊本県益城町
昨年4月に2度に渡る震度7の強震に、最も甚大な被害を受けた益城町の最大のテクノ仮設団地を訪問し、「益城だいすきプロジェクト きままに」の吉村静代さんから、実体験に基づいた避難所運営に関する様々な取り組みについて伺いました。吉村さんの自宅は本震で全壊したため、益城中央小学校の体育館に逃れました。まず足を踏み入れて不安に感じたことは、床に思い思いに拡げられた毛布でした。余震の続く中、避難に支障をきたすと思い、まずは床にテープを貼って避難用の通路を確保したことから、避難所運営に深く関わることとなり、様々なアイディアで、まさに「自立した避難所運営」を実践しリーダー的な存在として慕われています。
「みんなが主役」を合言葉に、避難者自らが避難所運営に携わり、強要するわけではなく、できる人ができることを行うことで、避難者同士が顔の見える関係になり、話し合える雰囲気作りを心掛けたそうです。喫茶コーナーやこどもが遊べるプレイスペースを設けたり、余っている段ボールベットを利用して食堂を作るなど、見知らぬ人同士の避難所で孤立を防ぎ互いに支え合え、絆を深め合えるようにしました。それは長引くであろう避難所生活とその後の仮設住宅での暮らしにおいても絶対に役立つとの信念からと感じました。
避難者200人が大家族のようになり、挨拶やこどもへの声掛けなどを通し、どんどんと笑顔が戻ってきたそうです。町職員やボランティアに頼らないで、掃除や食事の準備など率先して行い、時間のある人にはお手伝いに参加するように呼びかけて、避難者同士の繋がりを紡いでいったのです。仕事から戻ったお父さんが、トイレ掃除をしたり、大雨で体育館が漏水したときや、閉所の際にもみんなで力を合わせて活動されたとのことです。
特筆すべきこととして、吉村さんは町役場に掛け合って、益城中央小の避難所で暮らしていた家族は、なるべく同じ仮設団地でお隣同士になれるように配慮を求めたそうです。実際にテクノ仮設団地ではその通りになっています。現在は大型仮設団地でのコミュニティー作りに精力的に取り組まれております。当町では一色小学校避難所運営委員会が定期的に開催されておりますので、まさに益城中央小の避難所の実際は大変に役立つ事例がたくさんあると感じました。今後に活かすことができる内容の濃い視察研修となりました。
記 待寺真司
(1)B熊本県西原村 C南阿蘇村
1月18日に甚大な被害のあった西原村を訪問しました。
西原村役場では、震災復興推進室の山田孝係長に説明を受け、日置和彦村長、内田安弘副村長にも面会しました。
西原村は、平成28年4月14日(木)21時26分にM6.5震度6弱の前震が起こり、28時間後の4月16日(土)1時25分にM7.3震度7の本震に襲われました。当時、村の人口は、7,049人で世帯数は、2,652世帯だったそうです。被害の状況は、死者5名、負傷者56名で家屋の被害は、全壊513棟、半壊以上1,361棟に及んだそうです。避難者は、ピーク時に5ヶ所の公的避難所に1,800人、その他の自主避難所や車中泊等を含めると4,000人を超える村民が一時避難をしていたとのことでした。
現在は、復旧・復興に向けて国の特措法による財源の確保により対応中であるとのことでした。しかし、9ヶ月経った現在でも村の中を見るとまだまだ倒壊家屋が数多く見られ、復興には、かなりの時間がかかる印象でした。
復旧・復興における課題等をお聞きしたところ、現在でも県道28号線(熊本高森線)、村道4路線が全面通行止めであり、ライフラインである水道の本格的な復旧工事もこれからであるとのことでした。また、仮設住宅に居住している村民は、447世帯・1,254人に及ぶとのことで、今後の課題である災害復興住宅の建設等の問題もあるとのことでした。その他にも災害事務及び災害復旧復興に従事する職員の不足も課題であるとのことでした。
その後、車で布田川断層帯付近の被害が甚大であった村内の風当地区を視察してから南阿蘇村の東海大学農学部阿蘇キャンパス近くの斜面崩壊現場も視察しました。
記 伊東圭介
(裏面に続く)
(裏)
(2)佐賀県伊万里市
2017年1月19日(木)「伊万里市民図書館」で、一日盛議長の熱意溢れるご案内をいただきました。
図書館フレンズ伊万里作成の「伊万里図書館見学のポイント」の64にも及ぶチエックポイントに沿いながら、隈なくご案内いただきました。
伊万里市民図書館は、平成7年7月7日に新設されましたが、平成24年に行われた慶応義塾大学の糸賀研究室が発表した全国の図書館へのアンケートで、「その活動が優れている」図書館ベスト10以内に選ばれました。
設置の目的は、「文化的かつ民主的な地方自治の発展を促す」
市民との協働で完成した図書館の設置条例第1条には、「伊万里市はすべての市民の知的自由を確保し、文化的かつ民主的な地方自治の発展を促すため、自由で公平な資料と情報を提供する生涯学習の拠点として、伊万里市民図書館を設置する。」とあります。
伊万里をつくり 市民とともにそだつ 市民の図書館
図書館フレンズいまり発行の「伊万里市民図書館会館20周年記念誌」の表題です。
図書館の建物、展示の書棚から、椅子の配置、子どもたちのためのスペース、若者たち、高齢者、すべてが居心地の良い魅力的な図書館で、この図書館建設に力を尽くし、育ててきた多くの関係者の熱意が形となっている図書館でした。
葉山の図書館の将来を考える際に、もっとも参考としたい図書館と出会えました。
記 横山すみ子
(3)福岡県福津市(旧津屋崎町)
視察先 福津市・津屋崎千軒・まちおこしセンター「なごみ」
朝9時すぎ博多ホテル出発。最終日は小雪混じりの雨、夕方の飛行機時間までゆとりがあり、津屋崎の町おこしの状況をじっくり視察しようというスケジュールでした。
福津市は北九州市と福岡市を結ぶ鹿児島本線の間の市で、漁業と農業の町で特に今回視察先の津屋崎は、玄界灘に面し江戸から明治にかけては、海上交易(北前船)と塩田により人家が千軒もあるほどこの地域では繁栄していたそうです。
私の第一印象は、古くから街中の道路は碁盤の目状に区画され、最近に町を囲む外周が整備されてきた。天候のせいもあるが野外に人はなく、交通量も少ないなど地方都市共通の人口減少に悩んでいる。こういう印象を持ちました。
カーナビを使いつつ訪問先を訪ねましたが、狭い地域に住居が密集して特定できず。
聞ける商店や歩く人も少ないなど4人で右往左往の一場面がありました。
町おこしを手掛ける団体(津屋崎ブランチ)について触れます。
代表は山口覚で北九州市出身の現在47歳、鹿島建設の技術者の経歴を持ち、国土交通省書簡財団へ出向中に過疎地の現状に触れ、退職。
その後、福津市の前身の旧福間町と旧津屋崎町の合併に携わり、合併協議会主催の住民同士の話し合いの場づくりに尽力したこと。
また、2009年8月から2年間「津屋崎千軒を核とした移住・交流ビジネス化業務」受け、山口氏自身もこの町で生活しながら、「新しい暮らし方・働き方・つながり」を実現するための活動を開始。
まず初めに、全国公募で地方暮らしに興味のある3名のスタッフを雇い、津屋崎ブランチという地域交流の拠点を開設したそうです。
この1人の福井崇朗氏(20歳代)に山口氏到着までの間、町内を案内していただきました。雨は止んでいましたが、ほんとに寒く狭い生活道路が寒風を遮りますが、縦横の道によっては風の通り道で、コートの襟を立て、早く家の中に入りたい心境。
大正期に建てられた空き家を借り、作品作りと教室を開く陶芸家。地方からの移住希望者には古民家を利用したゲストハウス。町の核ともいえる嘗て、多くの杜氏を抱えていた造り酒屋の豊村酒造。国の有形文化財指定にもなり藍染め体験もでき、町おこしのリーダーが移住している藍の家の視察。最後は椅子やテーブル、ウクレレなど多種の木造工芸家を訪ねました。
(まとめ)
空き家でも所有者がおり、それぞれに愛着があり、「行政主導の誰でも住んでいただければよい」ではなく、人と人のつながりや、地域づくりのコンセプトのもと家主と移住希望者のお見合いをさせ自然環境に融和し、子どもの未来を見つめた町起しを感じました。
記 笠原俊一